空想の雲は、空の上。算数ノートと私の原点。

私は、子どもの頃から空想するのが大好きだった。

小学生の頃、私の席は窓際の一番後ろで、窓の外を眺めることの出来る絶景ビューポイントに座っていた。私は授業中、机に肘をついて窓の外を眺め、いろんな空想を巡らせていた。

――青空に浮かぶ雲は、何かのカタチに見える。あれはゾウ、こっちはサメ、私の頭の中にもこんな風に、いろんな雲が浮かんでるのかなぁ。

授業中なので、そんな態度の児童には当然、先生から叱責の声が飛んでくる。今のクラスの受け持ちの先生は、ちょっとヒステリックで怒りん坊だ。

「どこ見てるの! まりこさん!」
「空です」
「そういうこと聞いてるんじゃなくて! あぁもう、廊下に立ってなさい!」

私はうなだれて、スゴスゴと廊下に移動する。廊下に立っていると、今度は廊下の窓から学校の裏庭がよく見える。私はまた空想を巡らせる。

――あそこに見える木は、太くて上のほうは枝が広がっている。そうだ、なかよしのみんなで、あの木の上に秘密基地を作ろう。板で囲って、ロープをかけて。あ、まんじゅう屋の息子も仲間に入れよう。そしてまんじゅうをみんなで秘密基地で食べるんだ。

「まりこさん」
「は? あ、はい!」
「……あなた本当に、全然反省してないわね」

先生はため息をつき、大げさにヤレヤレという顔をした。

そんな私は、1学期の終業式で渡される通知表の通信欄に「授業中いつも上の空です」と書かれた。家に帰ってそれを両親に見せると、母からはこってり絞られ、父は、

「まりこの上の空には、空想の雲が浮かんでるんだな。でも授業はちゃんと聞けよ」

と言って笑った。

そして私は夏休みを迎えた。野山を駆け回り、秘密基地を作ったりとなかなか忙しく過ごし、あっと言う間に2学期がやって来た。

2学期の初めに席替えがあり、私は教室の真ん中あたりの席に移動になった。窓の外も見にくいし、授業もつまらない。

それは算数の授業の時だった。ありあまる退屈を持て余した私は、算数ノートの表紙の方眼のマス目に、なんとなく、

「むかしむかし、あるところに」

と書いてみた。

何か思惑があったわけではない。ふと思い浮かんだフレーズを書いただけだった。ところがそれがきっかけとなって、私の中から突然、物語があふれ出したのだ。

――あるところにすごく悪い王様がいて、国中の動物達は困っている。どうしたらいいのか、動物達は相談する。そして、そして……

私は初めての経験に驚きつつ、その物語を夢中になって算数ノートの表紙に書き綴った。いつも上の空の空想家だったが、空想を形にすることを初めて体験したのだ。
湧き出るお話をこぼさないように、私は一心不乱にノートに……

「まりこさんっ!」

キンキン声に顔を上げると、私の机の前に先生が手を腰に当てて仁王立ちしていた。先生は私の算数ノートを引ったくり、

「今日の放課後、職員室に来なさい!」

と、とげとげしい声で言った。私は宝物を奪われたような気持ちになり、弱々しく、おとなしく放課後までの時間を過ごした。

授業が終わり、恐る恐る先生のところに行くと、先生は算数ノートを返してくれた。ホッとする私に先生は言う。

「授業中にイタズラ書きをしていたこと、連絡帳に書きました。お家の人に見てもらって、ハンコを押してもらってきなさい。そのイタズラ書きは、明日までに消してくること!」

とたんに私は急激に体が冷え、お腹に大きな石が入ったかのようにズッシリと体が重くなった。

友達と話す気分にもなれず、1人トボトボと帰り道を歩く。

イタズラ書きと言われたことで、宝物のように思えた算数ノートが、忌まわしく恥ずべきものに変わってしまったような気がしたのだ。ハンコをもらわなくてはならないので、両親に黙っておくという手も使えない。

私は遠回りしてなるべく遅くなるよう帰ったが、家と学校の距離が徒歩10分なので、結局いつもとあまり変わらず、家に着いてしまった。

当然叱られるのを覚悟しつつ、母に今日の経緯を話した。母はふんふんと聞いていたが、

「夜、お父さんが帰ってきたら、話すから」

と、私から算数ノートと連絡帳を受け取り、家事の続きをしにパタパタと行ってしまった。

私は愕然とした。これはとんでもない緊急事態である。母はいつも私が何かすると、即座にガミガミ叱る。我が家で叱るのは母の役割なのである。それなのに、その母が何も言わずに父に全権を委ねたのだ。私は青ざめ、二段ベットの上の段でふとんにくるまり、とんでもないことをしでかした、と絶望した。叱られるよりダメージだ。

やがて夜になり父が帰ってきた。父と母で話をしていたが、ついに母が私を呼びに来た。いよいよだ。私は断罪されるのだ。
私は内心震えあがりながら、父の前に座った。

父は腕を組んで座っている。その前には算数ノートと連絡帳。
私は怖くて、顔を上げることが出来なかった。

「まりこ。授業を聞かないのはダメ、っていうことは分かるか?」

静かな声で父が聞く。

「……はい」

私は蚊の鳴くような声で答える。

「そうか。その様子だと、ずいぶん反省したんだな」
「ごめんなさい……」

私はまだ怒られてもいないのに、悲しくて悲しくて情けなくて涙があふれてきた。
すると父が聞いた。

「この話は、まりこが自分で考えたのか?」
「うん……」

私はうつむいたまま、ポロポロ泣きながらそう答えると、父はこう言った。

「すごいなぁ、まりこは。この話、とても面白いよ」

私が驚いて顔を上げると、父は笑っていた。

「この続きを書けよ。よく書けてるよ。お父さん、読みたいな」

私はうれしくなり、涙だらけのべしょべしょの顔で、

「うん!」

と答えた。

「だけど、授業はちゃんと聞けよ」
「うん!」

恥ずべき忌まわしく思えた算数ノートが、宝物に戻った瞬間だった。

翌日、私は神妙にハンコの押された連絡帳を、先生にうやうやしく提出し、消せと言われた算数ノートは母が用意してくれた新品のノートにすり替わった。そして旧算数ノートは私のお話ノートとなり、私は家で物語の続きを書き続けた。やがて物語は完成し、私はその物語に「いじわるな王様」というタイトルを付けた。

それを読んだ父は、予想以上に喜んでくれた。

「すごくおもしろいよ! この話をまりこが朗読して、紙芝居みたいに絵を描いて、8ミリで映画を作ろう。お父さんとまりこで、ピアノとか、たて笛で合奏して、音楽も付けてさ」

今思えば、物語とは呼べないくらい稚拙なお話だったと思う。でも、父が喜んでくれたことで、私は自分の空想が誰かを喜ばせることも出来るんだ、と胸躍るような気持ちになった。

しかし、それからほどなくして父は急逝してしまい、私の処女作「いじわるな王様」は映画化されることはなかった。算数ノートもいつのまにかどこかに行ってしまったが、この一件は、父と母がくれた大切な思い出として私の心の中に刻まれた。

そして月日は流れ、私は空想する子どもから空想する大人になり、広告プランナーという仕事をするようになった。

広告プランナーとは、ざっくり言うと、広告をどう出すか、どう見せるか、お店や会社にどうしたら人が来てくれるか、何をしたらお客さんが喜ぶか、企画やアイデアを考える仕事だ。

アイデアを考える、というのは、空想することから始まる。
空想して、空想して、それを現実に落とし込んで具現化するのだ。

子どもの頃はずっと空想癖を叱られ続けていたのに、大人になったらずっと空想していてもよくて、むしろそれを望まれていて、それが仕事になってお給料をもらえる職業に就けたのである。

なので私は働いていて毎日がとても楽しい。もちろん時には失敗もトラブルもあるけど、それも含めて自分の仕事が本当に好きだ。

どんな状況でも想像する翼さえあれば、どこへでも飛んで行けるのだ。

空の上の、雲の向こうへ。

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